就任のごあいさつ
このたび、5月の総会で代表理事に任命されました。実は10年ほど前に当時の薬師寺代表よりいずれは代表をするようにと仰せつけられていましたが、病を得ましたためかないませんでした。幸い健康を回復し、ようやく約束を果たせることになりました。
自己紹介をいたしますと、私、1978年に理科二類から科哲に進学しました。指導教官(教員)は渡辺正雄先生。同級生には、斎藤憲さん、橋本毅彦さん、野矢茂樹さん(学士入学)などがおられました。大学院の段階で斎藤さんはイタリア語学科に進学、橋本さんはアメリカに留学されましたので、科学史の院生は同学年で一人だけとなりました。
このころは「オーバードクター問題」という就職難があり、しかも科哲に博士号授与の権利が認められていなかったため、当時普通だったように私も3年で博士を退学し、大手予備校のアルバイトで食いつなぎました。そんなおり、博士時代の指導教官の村上陽一郎先生からお電話をいただき、前年の87年、東大に先端科学技術センター(東大先端研)という新しい研究所ができたので、助手で来ないかというありがたいお話をいただきました。 着任した先端研は、元の航空研究所(現在の駒場リサーチキャンパス)の中にあり、広大で緑豊かなキャンパスに事務を会わせて50名いるかという恵まれた場所でした。就いたポストは科学技術倫理という研究室でした。当時生命倫理学が興隆していましたが、生き物が苦手な私は好きになれず、しばらく困っていました。
そんなとき、翻訳を頼まれていた物理学者のジョン・ザイマンの本からSTSという言葉を学びました。当時はこの言葉に翻訳もなく、全体像もつかめていませんでしたが、倫理と関係しそうだし、ここには何かありそうだというので、取り組んで見ました。まさかこれに40年間も打ち込むとは思っていませんでした。研究ネットワークの組織化、研究会の運営、国際会議の開催と順調に展開し、STSの訳語として苦し紛れに私が案出した「科学技術社会論」という言葉も今は普通に使っていただいています。
ただ、科学史関係の方からはSTSに科学史の人材が奪われると心配される向きもあり、大恩ある渡辺先生もそうでした。幸いそれは杞憂でした。STS学会もすでに自立して500名を超える会員数になっています。これからは活動の中心を科哲にもどして、科学史・科学哲学の発展に尽くしたいと思います。科哲の会は、それを支える大事な柱です。ご助力いただければ幸いです。その手はじめとして、『科学者マイケル・ポランニー』(河出書房新社)という科学史と科学哲学を結ぶ著書も書きましたので、ご覧いただければ幸いです。
代表理事 中島秀人
アーカイブズ
2022. 1 | 新春のごあいさつ(辻篤子) |
2017. 1 | 新春のごあいさつ(武部俊一) |
2016. 1 | 新春のごあいさつ(武部俊一) |
2015. 1 | 新春のごあいさつ(武部俊一) |
2014. 1 | 新春のごあいさつ(武部俊一) |
2013. 3 | ご挨拶(住田友文) |
1998. 10 | 設立趣意書[PDF] |
「会旗」