本講義のタイトルは、「ハイデガーと政治哲学の問題」である。 『存在と時間』でハイデガーは、死を「可能性」として捉えた。現実に命を落とすこととは別に、死の可能性が普段に切迫していることが、現に生きているわれわれにとって、決定的に重要だとされたのである。実存のもろさしぶとさの交差点に位置づけられる。この「可能性」の概念は、哲学史的伝統の「解体」の所産でありながらも、他者との関係において、つまり複数性という条件のもとでこそ、本領を発揮する。共生における可死性というこのテーマに肉薄した哲学者が、ホッブスであった。『リヴァイアサン』の有名な「自然状態=戦争状態」論は、ハイデガーの死の概念に照らして初めて、その射程を十全に理解しうるのである。内戦の時代に出現したホッブスの政治哲学が、テロリズムの問題を内蔵しているのは、その根底に、死の可能性と殺人の可能性の両立という反転の論理が、ひいては、死の前での万人の「無差別性=平等」という近代の根本原理が、横たわっているからなのである。 章立てとしては、I「死への存在と可能性としての死」、II「解釈学的破壊の要綱ー『存在と時間』の核心部」、III「可死性と複数性」、IV「ハイデガーからホッブスへ」、V「恐怖と不安の政治哲学」、を予定している。 新たな現象学的政治哲学の試みに向けての序説としたい。 参考書:ハイデガー『存在と時間』、ホッブス『リヴァイアサン』など。 |